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劉備玄徳の死に際に見る強さ

劉備玄徳と言えば、謙虚で、正義感が強く、我慢強い。
三国志の数多い群雄の中でも、遅咲きのイメージがあると思います。
若い頃は正しい評価もされずに厳しい処遇を受け、なかなか活躍できずに各方面を練り歩き、

居候の身に甘んじることもありました。

 

しかし、人的魅力が高く、人民には慕われ、数多い優れた将の心を掴み、やがては蜀漢建国するまでになります。
まさに大器晩成の典型的なタイプですね。

 

さて、その劉備玄徳ですが、彼が喉から手が出る程欲した男が言わずとしれた諸葛亮孔明であり、

二人の関係を示す有名な言葉として「水魚の交わり」という言葉があります。

 

夷陵の戦いに大敗した劉備は、失意の中命を落としてしまいますが、死の間際に息子の「阿斗」(のちの劉禅)と、

孔明を呼び寄せ、孔明には自分の死後の蜀漢を託します。

 

 

ここまではよくある話ですが、圧巻なのは託し方です。
劉備の凄さは孔明に言い切った次の言葉です。

 

 

「もし、阿斗がトップの器として補佐し得る人物であれば補佐してほしい。」
「しかし、そうでないなら君がトップに成り代わり、国を運営してほしい。」

と。

 

 

私がはじめて読んだ中学生の頃はあまりピンと来ませんでしたが、

歳を取るほどにこの言葉がボディーブローのように効いてきます。

 

 

 

日本の戦国時代の英雄、豊臣秀吉は臨終の際、家康ら重臣に対して、

息子秀頼への変わらぬ忠誠を誓わせています。
結果として後見人に指名された家康により、豊臣家は滅亡し、徳川家の天下となりますよね。
結果として忠誠を誓わせた秀吉の思惑は外れ、秀頼は亡国の君主となってしまいます。

 

一方、国を取ってもらって構わないとお墨付きを得た孔明は、劉禅に死ぬまで忠誠を誓いました。
皮肉な結果ですね。

 

 

国家の世継ぎは、息子に世襲が当たり前のなかで、一家臣に対して、「君が乗っ取ってくれ!」
という劉備の心境はいかなるものだったか・・・。
拒否した孔明に対し、次は息子の父になるように懇願します。
息子阿斗に対し、この瞬間から父は劉備でなく、孔明だと教え、孔明に父への礼をさせます。

 

 

劉備は、漢の復興を志し、漢の崩壊に際し、やむを得ず蜀漢を建国しました。
きっと彼は、高祖劉邦のように蜀の地から国を興し、魏、呉を治め、蜀漢を通して漢の再興を達成させるべく、孔明に託したかったのでしょう。
そのためには、彼に世襲などは小さな事だったのかもしれません。

 

 

スケールが大きい人間ですね。
志半ばにして世を去りましたが、それでも大器晩成とは、まさに彼のための言葉ではないでしょうか。

 

 

 

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