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大将の器とは②・・・「夷陵の戦い」

 

今回も引き続き、夷陵の戦いにおける孫権の度量についてお話ししたいと思います。

 

 

1孫権の一芝居

大都督に任命された陸遜の心配事は武将たちが言う事を聞くかどうかということです。
知名度も低く、目立った実績も少ない。
書生生活も長く、猛将たちは父孫堅の時代から仕えておりますが、陸遜は孫権の代になってから仕えた新参者。

机上の空論のボンボンちゃんに見えたのでしょう。

そこで孫権の打った芝居とは…。

初戦で敗れ、7万もの兵士を失った韓当 周泰 に対して、孫権は死罪を言い渡します。
昔からの名将でもある二人を死罪とは…。
これはさすがに周囲もびっくりしますが、孫権の意思は揺るぎません。
諸葛謹・張昭など重臣が止めても聞く耳を持たず、本当に死罪になってしまうのか…。

 

その時に‼

陸遜が発言します。
全く聞く耳を持たない孫権が、陸遜の発言には耳を傾けます。

「大都督に任命された以上は全軍の命運は自分に委ねられたものである。」
「降格させ、戦いで罪を償わせる。」と言います。

ここで孫権もガラリと態度を変えます。

「大都督の意に従う!」と。

ここで韓当・周泰に恩を売り、今後陸遜が指示をしやすいような演出も見事!
大都督とは、それだけの権限と信頼があるという事を孫権自らが周囲に示しています。

 

2信念を貫く陸遜と孫権

孫権の芝居もあり、陸遜の地位は確立したかに見えましたが、表面上言う事を聞いても、やっぱり心まで掴むことは難しいようです。
守備に徹し、攻める事は禁止。

守り切れなくなれば撤退。

陣営を捨てて後退。
陸遜の戦いぶりに現場の将軍も本国の重臣たちも不満爆発状態になります。
しかし、それでも孫権は意思を曲げません。
陸遜も自分の戦略が勝利に繋がる事を信じ、断固として負け続ける戦略を取ります。
血気盛んな傅駿(孫権の義理の弟)は、陸遜の命を破り、蜀軍の侮辱に耐え切れず攻めてしまい、結果的に蜀の策にハマり、砦を失い、陸遜は斬首を命じます。
そんな中、孫権が陣中見舞に来ます。
傅駿(義弟)の首が掲げられているのを孫権は確認しています。
負け続けている陸遜軍に対して、孫権は5倍の劉備軍に奮戦していることを褒めます。

 

続いて、傅駿の斬首に対してこう言います。

 

「陸遜が法を曲げて傅駿を切らねば、近いうちに私の首が劉備に切られ、建業の城楼に晒されていただろう‼」

なかなか言えない言葉ですね。
そして、たくさんの陸遜罷免の上奏文を目の前で燃やします。
この孫権の度量が陸遜を感激させたことは、容易に想像がつきます。
この後、呉軍は気持ちが一本化し、陸遜勝利に結びつくのです。
義弟がさらし首になっているのを目にし、動揺しているはずが、その態度・気持ちを出さずに、陸遜への信頼の言葉を言える孫権の芯の強さは並大抵の事ではないと思います。
陸遜も、孫権以外の誰からも信頼されず、さぞかし厳しい精神状態であったと思います。

もし少しでも情や情けをかけて、戦っていたら、この戦いには破れていたのではないかと思います。

陸遜と孫権の信念の強さが劉備の大軍を打ち破った戦いですね。

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